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poohの故郷挿し絵の世界(絵本)ラファエル前派の挿し絵絵本リンク集

BGMはフォーレの「ピアノのための小品第5番即興曲」です。
music by nocturne

挿し絵本の黄金時代

*絵が先か、文が先か....

イギリスでは、多くの場合、昔から画家が描いた絵に、詩人ないし作家が本文を添えるという方法がとられていた。


リチャード.ドイル(1824〜1883)は、「森のなかの眠れる美女」に数枚のデザインを描いたので、この絵に添える物語詩をJ.R.プランシェ(1796〜1880)に依頼している。

バーケット.フォスター(1825〜1899)の描いた「イギリス田園の絵」と題する一連の素描に詩を添えるように依頼されたのは、アルフレッド.テニソン(1809〜1892)であった。ところがテニソンは一向に筆が進まず、この仕事を辞退した。
その代わりをつとめたのはトム.テイラー(1817〜1890)で、テイラーはフォスターの絵の魅力に感動し、この種の仕事に共感を示している。
時代とともに、本文が先で、挿し絵が後という形に定着していくが、作家や、画家のそれぞれの心情は複雑で興味深い。


「ダンテの神曲(地獄編)」ギュスタフ.ドレ画

画家ギュスタフ.ドレ(1832〜1883)の場合、ダンテの神曲を選んだ。ダンテの名声を利用して自分を売り込む方法をとった。
結果的には、ドレの絵によって、ダンテの名声を永遠のものにする事にもなった。

逆に詩人サミュエル.ロジャース(1775〜1855)の場合は、挿し絵を利用して読者にアピールした。当時売れていなかったロジャースのために、J.M.W.ターナー(1775〜1851)とトマス.ストザードが挿し絵を描いた。その結果、「イタリア」と「詩集」はたちまちベストセラーになったのだった。


サミュエル.ロジヤース「ジャックリーヌ」ターナー画

*挿し絵技術の進歩

15世紀以前の挿し絵は、木版画であった。16世紀末になると、銅版画とエッチングが導入され、18世紀には、それらが主流になる。ところが、18世紀末になると木版画も復活する。従来の板目ではなく、木を輪切りにして中央部を版木として使用する木口版の新しい方法が開発されたのである。この方法で、安価で細密な版画が可能になり、木版画も、銅版画、エッチングと同じ地位を占めるようになった。凸版である木版画は、本文と同一ページに印刷できるという利点もあった。

読者の需要も拡大すると、木版用の素描(下絵)を描く画家の仕事も増大していった。ジョージ.クルックシャンク、ハブロット.k.ブライン、ジョン.リーチ、リチャード.ドイルなどは、皆正規の美術教育は受けていないが、版画専門の仕事で活躍している。

*挿し絵の効用

挿し絵は宣伝にも使うことができた。新しい月刊分冊や、小説が出ると、その号に載る挿し絵が店頭のショーウィンドに飾られ、道ゆく人々の目をとらえた。

*政治版画と風俗版画

この時代最もよく作られたのは、政治風刺版画である。これは一種の武器として使われ、版画家はその意志とは無関係にいずれかの政党のために働いた。的を得た版画家は、相手の地位と名声に致命傷を与える存在となった。

一方、世相を風刺した風俗版画も盛んだった。特に人気を博したのは、ファッション。女性の髪型や、帽子、ドレス、ナド、風刺版画特有の誇張と歪曲で表現されたが、風刺の対象になることは、それだけ世の注目を集めていたことを物語っている。

政治版画が、政治的武器なら、風俗版画は、民衆の娯楽であった。これら風刺版画は、マニアックな人々の蒐集の対象になり、特に人気があったのは、ジェイムズ.ギルレイ、トマス.ローランドソン、ジョージ.クルックシャンクなどである。集められた版画は、大切に保存された。

J.リーチ画「貸し椅子の料金」(パンチ誌1859年7月号) 、   G.デュ.モーリエ画「美容師の驚くべき勝利.シニョン最新型」(パンチ誌1866年)
クリノリン全盛の頃のドレスの彼女は、何人分の料金を払ったか...  さてポニーのシニョンもつけ毛のたまものか......


*ラファエル前派の挿し絵


テニソン「シャーロットの女」「ゴディヴァ」ハント画

アルフレッド.テニソン(1809〜1892)の詩集は、ラファエル前派の画家たちの挿し絵で有名だが、テニソン自身は、彼らの絵を高く評価していない。例えば、ロセッティの挿し絵「セント.セシリー」は褒めてはいるが、詩とは何の関連もないと不満を述べているし、ハントの「シャーロットの女」と「ゴディヴァ」には気分を害していたらしい。

そのときのふたりの会話は次のようだった。「シャーロットの女」については、

「ハント君、私は若い女性の髪の毛が部屋いっぱいになびいているとは言った覚えがないよ。」とテニソンが言うと、ハントは、「その通りです。でもあなたはそうでないとも言いませんでした。」

「ゴディヴァ」については、

「私は、こんなに階段があるとは言わなかった。せいぜい一段か二段を考えていたのだ。」と言うと、
「でも、古いバラッドではひとつながりの階段があったと書いてあります。」
「しかし私は古いバラッドに依存したとは言わなかった。」
「なるほど。でも、いくつ階段があってもあなたの説明とは矛盾しません。あなたは、ただ『王は長いローブをまとい王冠を被って階段を下りた』と書いてあるだけです。」

だが、テニソンはおさまらず、私は二段以上のつもりではなかったと言い続けた。

アンソニー.トロロープ(1815〜1882)の「フレイムリー.パーソネッジ」の挿し絵を担当したのはジョン.エヴァレット.ミレイである。トロロープは、ミレイの挿し絵を高く評価した。挿し絵を描く際、ミレイが小説を丹念に読んだことにも感謝を示している。


トロロープ「フレイムリー.パーソネッジ」ミレイ画

*挿し絵に対する小説家の反応


チャールズ.リード(1814〜1884)は「素晴らしい闘い」の連載を始めたが、ストーリーの評判が悪く、掲載している雑誌の売れ行きも落ちはじめた。出版社の求めで打ち切りになったが、リードは、自分の小説よりもチャールズ.キーンの挿し絵が悪いと言った。それだけでなく、キーンが一枚の下絵にもらう金額や、彫版業者に支払う経費が、自分が受け取る額よりも三分の一も多いことにも腹をたてている。

ジョージ.メレディス(1828〜1909)は、これとは対照的で、「エヴァン.ハリントン」の挿し絵を担当したキーンに対し「見事な出来ばえだ。」と満足している。


チャールズ.リード「素晴らしい闘い」キーン画

シャーロット.ブロンテ(1818〜1855)の「ジェーン.エア」に挿し絵を入れてはどうかと出版者が提案したとき、彼女の反応は深刻であった。
「もしジェーン.エアが挿し絵に描かれるなら、作者以外の誰かにそれを任せなくてはなりません。そうなると、私のヒロインをあえて描く人はいないでしょう。ブルワー.リットンやバイロンのヒーローやヒロインなら話は別です。彼らは皆美男美女ですから。でも私のヒロインは、決して美しくありません。ですから理想的な挿し絵の人物には向いていないのです。よくできても不毛なものになるでしょう。」
結局この作品には挿し絵は描かれなかった。

同じ女流画家のジョージ.エリオット(1819〜1880)の小説「ロモラ」の挿し絵は画家フレデリック.レイトンが描いている。彼女はレイトンに「あなたは、ロモラにこの世のものとは思えぬ素晴らしい姿態を与えてくれました。」と言って感謝している。

クリスティーナ.ロセッティ(1830〜1894)の場合、その作品「シング.ソング」の原稿のどのページにもペン.スケッチで挿し絵のテーマを指示していた。しかし、これらのテーマのうち画家のアーサー.ヒューズが使ったのはわずかで、実際にスケッチをもとに描いたのはたった2枚であった。

   
ジョージ.エリオット「ロモラ」レイトン画 、クリスティーナ.ロセッティ「シング.ソング」アーサー.ヒーズ画

*子供の絵本

ビクトリア朝は、子供のための文化が発達した時代でもあった。児童文学と、それを彩る挿し絵の世界が華やかになっていった。
ヴィクトリア女王一家は、この時代の理想の家族像であった。両親と子供達がそろって炉端でくつろぎ、親が本を手にして子供に読み聞かせるという幸せな一家団欒のイメージを広めた。クリスマスツリーやカードの習慣ができたのもこの頃であった。
1860年代になると、子供の本は大型になり、色鮮やかな挿し絵で飾られるのが当たり前になってきた。なかでも一冊6ペンスという安値の「トイ.ブックス」シリーズは爆発的に売れた。

*ルイス.キャロル「不思議の国のアリス」ジョン.テスニル画

アリスの登場人物は、ジョン.テスニルによって決定的なイメージを与えられた。
彼の挿し絵がなかったら、ヒロインのアリスや、白ウサギ、チェシャー猫なども、あれほどの存在感は持ち得なかったであろう。

*ウォルター.クレイン「アルファベット」


ウォルター.クレイン(1845〜1915)は14歳から彫版師のもとで修行をし、イラストレーターとなる。
彼の手掛けた6ペンスの「トイ.ブックス」シリーズは大ヒットした。
挿し絵画家として成功す一方、画家としてもモリスの創始したアーツ&クラフツ運動のデザイナーとしても活躍した。

*ランドルフ.コルデコット「えっさかほいさ/ねんねんころりん」

コルデコット(1846〜1886)は、ウォルター.クレインの後継者で「トイ.ブックス」を手掛けた。
マザー.グース童謡を絵本にしたこの絵は、お皿とスプーンが駆け落ちする場面を描いている。

*リチャード.ドイル「音楽会のリハーサル」

リチャード.ドイル(1824〜1883)は高名なイラストレーターで、他にも妖精を描いた作品が多い。
(ちなみに作家のコナン.ドイルは、リチャードの息子である。)
挿し絵に合わせて詩を描いたのは、アイルランド出身の詩人アリンガム。

*ケイト.グリーナウェイ「窓の下で」


ケイト.グリーナウィ(1846〜1901)の父は彫版師で、幼い頃から父の仕事場に出入りしていたケイトがイラストレーターになったのは自然なことだった。
ケイトの本は、イギリスはもとよりフランス、ドイツでもベストセラーになった。批評家ラスキンも彼女の大ファンで500通もの手紙を彼女に送っている。

ラファエル前派の画家たちの挿し絵は、こちらにまとめました



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